飛ばし―日本企業と外資系金融の共謀/田中周紀【著】

本書は、80年代後半のいわゆるバブルとその崩壊過程において多額の含み損を抱えた日本企業と、それを奇貨として含み損飛ばしに荷担した外資系金融の共謀を暴くノンフィクションです。

著者はフリージャーナリストの田中周紀氏です。同氏は共同通信の元記者で、長年金融業界を中心に取材してきたそうです。

 

本書では、『飛ばし』というタイトルどおり、山一証券の破綻やヤクルト本社巨額損失事件(別名:プリンストン債事件)、さらにはオリンパス粉飾決算事件などにおいて行われた「飛ばし」の実態や仕組みを詳細に解明しています。

当然、金融に関する専門用語や複雑な金融取引の名称が多く出てきますが、著者はその都度、丁寧かつ分かりやすく説明してくれるので、特に金融用語辞典などを参照しなくても読み進めることができます(もちろんすべて理解するのは無理ですが)。

 

難しい取引の実態はさておき、本書を読んで驚くことは、名だたる大手証券会社や大企業が一連の財テクの失敗による含み損隠しに膨大な時間と労力を費やしていたという事実です。 ほんの一部の幹部による問題の先送りや保身、私利私欲によって失われたものはあまりに大きいと言えます。

この点について、著者は「あとがき」において以下のように厳しく指弾しています。

2012年9月25日、オリンパス粉飾決算事件で金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)などの罪に問われた元会長兼社長の菊川剛、元監査役の山田秀雄、元副社長の森久志の3人の初公判が、東京地裁で開かれた。

菊川が公の場に姿を現すのは社長(当時)のマイケル・ウッドフォード解任の記者会見を開いた11年10月14日以来、約1年ぶりのことだ。紺色のスーツに紫色のネクタイ姿の菊川は「間違いありません」と起訴内容を認め、用意した書面を読み上げた。それは次のような内容だった。

「会社が簿外で巨額の損失を隠していることは知っていましたが、公表が与える(市場への)影響に思い悩み苦悶の日々が続きました。今思えば公表する機会はありましたが、優柔不断で踏み切れませんでした。なぜ決断しなかったか、慚愧の念に堪えません。一切の責任は私にあり、全責任を負うつもりです」

「なぜ決断しなかったか、慚愧の念に堪えない」とは笑止千万。“いい格好しい”にも程がある。しおらしく反省の態度を示しているように見える菊川が言及しているのは、単に「飛ばし」を行った背景だけに過ぎず、この期に及んでもまだ一番肝心な点には触れていない。「なぜ決断しなかったのか」などという“欺瞞”に満ちた自問自答に対して、菊川自身の回答はとっくに出ているはずなのだ。同年11月19日の被告人質問で、粉飾を続けた理由を聞かれた菊川は「巨額の含み損があることを公表すれば、金融機関からの融資が途絶えて会社が潰れると考えた」と答えた。

 もちろん、理由はそれだけではあるまい。

「本業とは無関係の財テク失敗の責任を問われて辞任するのが嫌だったから」

「先輩社長の岸本正寿が始めた損失隠しを表面化させて、自分を後継社長に指名してくれた岸本のメンツを潰すわけにはいかなかったから」

 まさにこれこそが、問題の先送りを図ろうとする日本人経営者の本音のはずだ。なぜはっきりこう言えないのか。なぜ逮捕・起訴という生き恥をさらしながら、未だに自己保身に走って格好をつける必要があるのか。(p.349-350)

 

さらに著者は、バブル期での財テクに失敗して負った損失を先送りにし、いまだに隠し続けている第2、第3のオリンパスが存在する可能性があると指摘しつつ、こう締めくくっています。

 本書を執筆しながら、問題の先送りばかりしてかえって事態を悪化させてしまう日本の経済界の無責任体質、ひいては日本人の体質そのものに根付く「事なかれ主義」を思い、改めて深い絶望感に襲われた。「飛ばし」は日本人が持つ恥ずべき伝統の一つであり、とうに時代遅れになった高度成長期の成功体験を振りかざす“老害経営者”や、何も考える能力を持たないお気楽なコネ入社の経営者が居座り続ける限り、いつまで経っても何かしらの形で生き延びるだろう。日本の将来は極めて暗い。(p.354)

 

新書にしては内容が濃く読み応えのある本です。とはいえ、著者の丁寧な解説により、金融の知識があまり無くても問題なく読めます。

80年代、90年代の話が中心となっていますが、現代につながる経済・金融業界における負の側面を知るために、読んでおいて損は無い一冊だと思います。

 

飛ばし 日本企業と外資系金融の共謀 (光文社新書)

飛ばし 日本企業と外資系金融の共謀 (光文社新書)